2012年5月 2日 (水)

『七つの子』を聴きながら

有名な童謡、『七つの子』は野口雨情さんの詩。

いろいろ解釈に問題があるようで、「七つ」を「七羽」、「七匹」と同じように、古巣のなかにいるカラスの子どもの数だろう、と理解しようとする人たちと、「七つ」を「7歳」と同じように、古巣のなかにいるカラスの子どもの年齢としてみなそう、とする人たちに意見が分かれているという。

 たとえば、ここで、「七つ」古巣のなかにいるカラスの子どもの数として理解すると、普通カラスは3個から4個しか卵を産まないそうなので、「七つ」産んだというのはカラスの生態系から観ると、特殊な場合になるだろう。

だが、全く事例がない訳ではない。

かっては『おそ松くん』のような六人兄弟は稀ではなかった。ただ、「六っ子」となるとどうか。「七っ子」となると、それだけで充分に脅威、話題になるのに違いない。

『七つの子』のなかで、野口雨情さんにそちら(巣の中の子どもの数)を強調する趣旨はなかったような気がする(感じ取れない)。

 「七つ」古巣のなかにいるカラスの子どもの年齢として理解すると、普通カラスの子は1ヶ月で巣立つそうなので、カラスの生態系からすると、ますます怪しくなる。

 詩の言葉で表現して丸い顔をしたいい子は七年間もニートをしている訳であり、普通のご家庭なら、巣のなかはゴミ箱、あるいは毎日のように親子喧嘩になって然るべきなのではないだろうか。丸い顔をしたいい子が不治の病に犯されていたのなら別なのだけれど。

 野口雨情さん、ご本人にお伺いするのが早道なのだろう。だが、もう、とっくに他界されておられる。

だから、現時点では、「七つ」をどのように把握するのかは、あくまでも聴く側の印象となるはずである。

 まず、この歌を聴いてみたい。YOU-TUBEにあるので、そこから借用しよう。歌詞もインターネットから借用させていただき、載せよう。そこから、ささやかながら、わたしの<印象>も付け加えさせてください


YouTube: 七つの子

七つの子

野口雨情作詞・本居長世作曲

(からす)なぜ啼(な)くの

烏は山に

可愛(かわ)い七つの 子があるからよ

可愛(かわ)い 可愛(かわ)いと 烏は啼くの

可愛い 可愛いと 啼くんだよ

山の古巣(ふるす)へ いって見て御覧(ごらん)

丸い眼をした いい子だよ 


Hiyoko2

<印象>

この詩は読まれたらわかりますように、(からす)なぜ啼(な)くの、という質問から始まっている。多分、子どもが道を歩いていて、カラスの鳴き声を聞いて、側にいた御両親に尋ねたのだろう。

後のフレーズはすべて、(からす)なぜ啼(な)くの、という子どもの質問に対する御両親の答えとなる。

『七つの子』は質疑応答形式なのであり、まず、この構成をおさえることが大切なのではあるまいか。

(からす)なぜ啼(な)くの、という子どもの質問に対する御両親の答えは二つ。

 「烏は山に

可愛(かわ)い七つの子があるからよ

可愛(かわ)い 可愛(かわ)いと 烏は啼くの

ここまでが<解答1>

「よ」「の」という言葉で終っているから、この答えは女性、お母さんの言葉なのではないでしょうか。結論から言えば、お母さんは(からす)なぜ啼(な)くの、と聞いたご子息を見ておっしゃっただろうから、「烏は山に(あなたのような)可愛い七つの子があるからよ」というニュアンスにならないでしょうか。或いは、あなたと同じくらいの、という意味が含まれているのでしょう。

 そう考えると、「七つ」は、主語はカラスですが、直接は、自分の子どもを指していることにならないでしょうか。

 <解答1>を受けて、<解答2>が続きます。

「可愛い 可愛いと 啼くんだよ

山の古巣(ふるす)へ いって見て御覧(ごらん)

丸い眼をした いい子だよ 」

「ご覧(ごらん)」「だよ」という語尾ですから、答えの主は男性、たぶん、一緒に歩いていたお父さん、野口雨情が浮かび上がってきます。

この<解答2>は、(からす)なぜ啼(な)くの、という子どもの問題提起の解答としてはやや外れますが、作者(野口雨情)が最も言いたかったこと、この詩の主題なのではないでしょうか。

主題、それは容易に読み取れます。

「山の古巣(ふるす)へ いって見て御覧(ごらん)

 丸い眼をした いい子だよ 」

一度、田舎だけど、我が家にお立ちよりください。

可愛いんだぁ。

 この詩が出版されたときは、作者は先妻と離婚し、子どもたちを連れて、その「山の古巣」から引越しして生活していました。

ただ、先妻と結婚してすぐに、茨城県の人なのですが、相当長い間、自分の家を離れ北海道に出向き新聞記者をします。樺太にも行きました。

 いわば、旅ガラスですよね。

作者(野口雨情)もある意味旅ガラスだったわけで、たぶん、結婚直後から始まる北海道時代に、新聞記者の同僚に毎日のように子どものことを話していたのではないでしょうか。

 この詩から、実にしみじみとした父親の子どもに対する愛情・思いがわたしには伝わってくるのでした。

 

 



2012年4月19日 (木)

嵐山考

 今年、京都は3月の終わりまで、冬の名残が続き、嵐山の桜の開花も4月になって本格化した。ただ、アッと言う間に散り始め、桜の散る時期と見物する方々の多さは気候に影響しないのだろうか。
 毎年のことだが、相変わらず渡月橋が沈みそうだった。交通機関の方々はほくほくだろうけれど。

Photo(嵯峨側からの渡月橋の眺め)
 JRの「嵯峨嵐山」の駅名が表わしているように、この桜の区域は、京都市内から来られたとして、渡月橋を挟んで、右側が嵐山、左側が嵯峨と普通呼ばれている。どちらの岸辺の方方が言い出されたのかは知る由がないのだが、渡月橋をアベックで渡ると必ず別れる・・・らしい。

 ただ、桜の季節には渡月橋が沈むのではないだろうか、と思ってしまうほど、大勢の人々が渡月橋を笑顔で渡っている。勿論、カップルも大勢。一体、どれだけのカップルの愛が沈んでいったのだろうか。それは、渡月橋が桜の見物客で沈むのではないか、と思うくらい在り得ない話である。

 観光客は嵯峨地域の方が多い。それは、立ち並ぶ店の数を見ればわかる。嵯峨の小倉山一帯は、兼行法師が『徒然草』のなかで「化野の露消えるときなく」と読まれたように、化野呼ばれる死体置き場、平安時代は火葬場だった。

Photo_2(嵐山側からの化野の風景)

 「嵐山」も元々は化山(あだすやま)だったのではあるまいか。そばを通ってぎょっとしてしまうのは、わたしだけだろうか。観光用に御めかしをしているところあるのだろうけれど、どこか異次元に接しているような気分になってしまう。Photo_3 (嵐山)

  ここであえて、「嵐山地域」(渡月橋の左岸)と「嵯峨地域」(渡月橋の右岸)を比較するなら、わたしなりの印象として、「嵐山地域」(渡月橋の左岸)の方が早く開けたのではないだろうか、と思う。嵯峨地域はご存じのように、天竜寺清涼寺大覚寺常寂光寺など、名刹が所狭しと建ち並んでいる。それは、あくまでも仏教の名刹であり、桓武天皇の平安京遷都以降、天皇家の繁栄とともに開発・発展してきたと言っていいだろう。ところが、神社のほうに目を移すと、野宮神社車折神社などを数えるものの、いずれも延喜式神名帳にはない、村社である。

 それに較べ、「嵐山地域」(渡月橋の左岸)は、今でこそ旅館街の様相を呈しているが、宗像社松尾大社月読社など、古来より有名な神社が並んでいる。特に、松尾大社は日本人の信仰の原点と考えられてい巖信仰を基点としており、秦氏により整備されたと聞いているものの、その起原は縄文時代に遡るのではあるまいか。

Photo_5{松尾大社のお祭り)

 いずれにしても、嵯峨・嵐山に桜見物に来るたびに、凄まじい天皇家の勢力と文化の高さを感じる。渡月橋も、亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて、「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから名付けられたとのこと。わからなくもないが、亀山上皇は、何をしに月の頃に宮廷を抜け出して、こんな辺鄙な死体置き場・火葬場にわざわざ来られたのだろう。

 危ないったらありはしない。悪い霊にとりつかれますよ。不穏な時間帯に月の満ち欠けで何かを占っておられたか、太陰暦による暦を創っておられたか。想像すればきりがないのだが、渡月橋にはト月橋の意味もあるのではないだろうか。

 

 

 

2012年4月 3日 (火)

"L'oiseau et l'enfant" 子どもたちの声のほうが似合うかな

 "L'oiseau et l'enfant"(鳥と子ども)は、Joe Gracy作の澄んだ詩と、Jean-Paul Caraの美しい曲で1977年のEurovision Song Contest で高評価を得て、とてもポピュラーなシャンソンになりました。
 わたしでも知っているくらいだから、ポピュラーと言ってもいいのではないかと。当時は、詩を味わうよりも、歌い手のMarie Myriam嬢のほうに見とれて、フランスの人ってカッコイイなあ、と憧れたものです。
 すべての人がそうなのではないでしょうけれど。それから、もう30年くらいたちますか。最近になって、この歌をYOU-TUBEで合唱曲として子どもたちの声で聴かせてもらったとき、印象がいきなり変わり、歌詞を改めて見つめて、訳しだしました。高血圧のおかげで、眼底出血をしましたから、わたしには珍しい姿勢と言えます。
 とにかく、YOU-TUBEで合唱曲としての"L'oiseau et l'enfant"を聞いてみましょう。<原詩>と<拙訳>も付けます。あてになるかどうかは疑問ですけれど。それから、<感想>も少し加えることをお許しください。では。


YouTube: Petits Chanteurs d'Aix - L'enfant et l'oiseau

Yun_3057 (ゆんフリー写真素材集より)

<原詩>

Comme un enfant aux yeux de lumière

Qui voit passer au loin les oiseaux

Comme l'oiseau bleu survolant la terre

Vois comme le monde... le monde est beau

 

Rede de vie, d'amour et de vent

Belle, la chanson naissante des vagues

Abandonnée au sable blanc

Blanc, l'innocent, le sang du poète

Qui en chantant invente l'amour

Pour que la vie s'habille de fête

Et que la nuit se change en jour

Jour d'une vie où l'aube se lève

Pour réveiller la ville aux yeux lourds

Où les matins effeuillent les rêves

Pour nous donner un monde d'amour

L'amour, c'est toi; l'amour, c'est moi

L'oiseau, c'est toi; l'enfant, c'est moi

 

Rede de vie, d'amour et de vent

Belle, la chanson naissante des vagues

Abandonnée au sable blanc

Blanc, l'innocent, le sang du poète

Qui en chantant invente l'amour

Pour que la vie s'habille de fête

Et que la nuit se change en jour

Jour d'une vie où l'aube se lève

Pour réveiller la ville aux yeux lourds

Où les matins effeuillent les rêves

Pour nous donner un monde d'amour

Moi, je ne suis qu'une fille de l'ombre

Qui voit briller l'étoile du soir

Toi, mon étoile, qui tisses ma ronde

Viens allumer mon soleil noir

Noirs, la misère, les hommes et la guerre

Qui croient tenir les rênes du temps

Pour ceux qui ont un cœur d'enfant

Comme un enfant aux yeux de lumière

Qui voit passer au loin les oiseaux

Comme l'oiseau bleu survolant la terre

Nous trouverons ce monde d'amour

 

L'amour, c'est toi; l'amour, c'est moi

L'oiseau, c'est toi; l'enfant, c'est moi

L'oiseau, c'est toi; l'enfant, c'est moi

L'oiseau, c'est toi; l'enfant, c'est moi

Yun_5640_2(ゆんフリー写真素材集より)

 

<拙訳>

瞳を輝かせて

遠くを飛んで行く鳥たちを見ている子どものように

大地を飛び交う青い鳥のように

世界がどれだけ美しいか どれだけ美しいか見ませんか

波に踊るボートはすばらしい

荒々しい人生 愛 風

波からの歌もきれい 白い砂に消えていく

白は清純 詩人の血

歌で愛を創り出す

だから人生には祝典のための特別なドレスがあり

だから夜は昼にかわっていく

生活の日は 夜明けが始まるとき

まだ重い目をした都市を起こさないと

朝は夢を集めるとき

わたしたちに愛の世界を与えないと

 

愛はあなた 愛はわたし

鳥はあなた 子どもはわたし

 

わたし 私はただ日陰の娘

宵の明星が輝いているのを見るの

あなたは わたしの周囲を巡るわたしの星

わたしという漆黒の太陽を照らしに来てください

黒は悲惨 兵卒 戦争

それらは時代の主導権を握っていると信じている

愛の国に境界はない

子ども心を持っている人たちのために

瞳を輝かせて 

遠くを飛んでいく鳥たちを見ている子どものように

大地を飛び交う青い鳥のように

わたしたちはこの愛の世界を見つけるだろう

愛はあなた 愛はわたし

鳥はあなた 子どもはわたし

愛はあなた 愛はわたし

鳥はあなた 子どもはわたし

Kid0049022_m_2(foto projectより)

<感想>

 恋愛ソングは内容によっては、裏返しの「賛美歌」とも言えると思うのだが、” toi”をイエス・キリストに譬えると、この歌は、純粋な心をたたえる賛美歌に変わると言ってもよいかもしれない。歌のなかでL'amour, c'est toi”が繰り返されている。聖書のヨハネの手紙一4章16節に「神は愛です」という有名なフレーズがあるから、あながちこじつけにはならないだろう。

 鬱病が国民病になりかけている今日、「癒されたい」と心から願う人たちも多くおられるのに違いない。その割には、けんかごしの「べらんめぃ調」」のかましが大來を闊歩している状況が気にかかる。国会答弁を聴かせていただいても、荒い口調の非難、冷たい口調の答弁。蔑みを目的としているだけの野次。

 聞いていて、癒されるどころか、吐き気を催すときもある。もっとも、今は国難のときだから、みんなイライラしていて当然なのかもしれないが、もう少し気の利いた表現があるのではないだろうか。学校でも、国会でも、将来のある子どもたちの興味を引き、心が安らぐなかで希望の光が見え隠れするような原語表現に気を使っていただきたいものである。

 言葉によって、人は生きるのだし、同じ意味でも言い方(口調・表現)一つで、聞いている側の気持が高ぶったり、おだやかになったりするのだから。

 

2012年3月 6日 (火)

東北地方太平洋沖地震からもうすぐ1年ですね

今年の冬は寒いから、東北地方で被災した方々に関西に住むわたしなどに思いもよらない様様な困難が襲い掛かっているだろうな、と祈るような気持で毎日を過ごしています。復興の状況すらあまり報道されないなか、原発による放射能汚染は収束した、などという首相の発言まで聞こえ、耳を疑うばかりです。
 東北地方の復旧が順調に進んでいることを願うばかりです。
 二十年ばかり、売れのこりのランをカトレアを中心に購入し育てています。それを通して、花とは言え、「命」は力、強い、と思うようになりました。
 中古一眼レフの調子が悪いまま、そのままほったらかしでいますので、コンデジに頼るしかないのが辛いところですが、今回10枚ばかりUPさせてください。
 名前と必要なかぎりで説明を加えます。では。

012010a

 c.gemmini coerulea

022010a

c.loddigesii coerulea

032010 

c.skinneri "Heiti Jacobs"FCC/AOS

042010

 rlc.Water Color "Orchidlibrary"

052010

 c.trianaei“A.C.Burrage”AM/RHS

062010

 v.Sansai Blue(バンダです。寒がっています)

072010

. Cariad's Mini-Quinee β

082010ajpg 集合写真2010

092010 ツ-ショット2010(穴はなめくじですか?)

102010 

c.Porcia'Cannizaro'FCC/AOS

 一番最後のポーシァの写真が最も新しく、昨年の12月にライティングを工夫して撮影してみました。この花は今も元気ですが、上の写真のカトレアのなかには、枯れてしまったり、病気がちになっている株もあります。

2012年2月24日 (金)

"Sunshine on my shoulders"族長ヤコブみたい

西向きの家に住んでいますせいか、洗濯物は早く乾きますが、古着などは色あせてしまうものもあります。ただ、今年のような厳しい寒さの冬は、西からの暖かな日差しがまぶしく、「まだ暮れぬ 冬日差しこそ いとほしき」などと、インターネットで見た俳句を思い出し、嬉しさがこみあげてくるのでした。

この冬は、ジョン・デンバーの“Sunshine On My Shoulders”をよく思い出しました。別に理由などなどないのですけれど、広大なアメリカに生きる人たちの心の広さが伝わってくるようで、冬の日差しのようにいつまでも温かく心に残りました。Sunshine On My Shoulders”は、訳しますと、「太陽を背にうけて」となるのでしょうか。ジョン・デンバーさんは、53歳のときに飛行機事故でお亡くなりになりました。生きておられたら70歳くらいでしょうか。この歌も1971年にリリースされた古い歌で、詩も曲も歌もすべて、ジョン・デンバーさん自身によります。

YOU-TUBEにありましたので、そこから借用し、インターネットから<歌詞>と<野村伸昭さんの訳>をあげます。最後に、<感想/印象>を付けさせてください。ここは少し長くなります。すみません。


YouTube: Sunshine on my shoulders: John Denver

<歌詞/日本語訳>

 

Sunshine on my shoulders

John Denver

 Sunshine on my shoulders makes me happy.
Sunshine in my eyes can make me cry.
Sunshine on the water looks so lovely.
Sunshine almost always makes me high.

             (太陽を背に受けて 僕は幸せなんだ
              太陽を見つめて 僕は涙を流す
              水辺に映った太陽は とても素敵で
              太陽はほとんどいつも 僕をハイにしてくれる)
If I had a day that I could give you
I'd give to you a day just like today.
If I had a song that I could sing for you

I'd sing a song to make you feel this way.

(もしも君に一日をプレゼントできるなら
             今日みたいな日を選ぶよ
             もしも君に歌を一曲プレゼントできるなら
             君をこんな気分にさせてくれる歌を選ぶよ)

 repeat

If I had a tale that I could tell you
I'd tell a tale sure to make you smile.
If I had a wish that I could wish for you
I'd make a wish to sunshine all the while.

もしも君に物語を語って聞かせられるなら
             君を微笑ませる話を選ぶよ
             もしも君のために願い事をしてあげられるなら
             いつも太陽が輝いていることを願うよ) 

 repeat                 (日本語訳:野村伸昭)

N4_01
<感想/印象>

 

 この歌は、一日の広がり、刻一刻と変わる自然の変化のなかに、心の広がり、深み、暖かさ、生き方までも繁栄されています。「もしも君に一日をプレゼントできるなら/今日みたいな日を選ぶよ/ もしも君に歌を一曲プレゼントできるなら/君をこんな気分にさせてくれる歌を選ぶよ」「もしも君に物語を語って聞かせられるなら/君を微笑ませる話を選ぶよ/ もしも君のために願い事をしてあげられるなら/ いつも太陽が輝いていることを願うよ」。

信念に基づいて純粋な心で人生の道を選択し、進んでいるからこそ、歌えるのだろうし、また、時代や社会、そして家族の喜びも悲しみも、真正面から大らかに受け止めて生きているからこそ、お日様の眩しく、力強い日差しに、自然の美しさ、優しさに心から感動することができるのでしょう。

N4_09

 人生の試練を真正面から受け止めて歩むという姿勢に,、実は、旧約聖書の族長ヤコブを思い出します。これから、旧約聖書物語の世界に少し足を踏み入れます。

 族長ヤコブは、族長イサクの子、アブラハムの孫にあたります。エソウというお兄さんがいましたので、イスラエルの社会では親父の財産は長男のエソウが相続することになっていました。長子相続制です。ところが、ヤコブは歳をとり。目が悪くなったお父さんをエソウに変装して騙し、長男の祝福を受けてしまいます。

 エソウはかんかんに怒ってヤコブの命を狙うようになり、お母さんのリベカは心配で、心配で、ラバンが家長をしている自分の実家に息子ヤコブをひきとってもらうことにしました。

リベカのお里はパダン・アラム地方にありました。ヤコブたちが暮らしていたカナン地方から500キロくらい北で、とても遠くでした。ヤコブはそこで、ラバンの二人の娘さんを妻に迎え、子どももたくさんできました。財産も増えたのですが、族長ラバンと折があわなくなり、ヤコブは奥さんと子ども、家畜、お供の人たちと一緒にカナンのイサクの家に帰ろうと決意し、ラバンの家をでました。そうなると、エソウ兄さんの気持ちと動きが大きくヤコブの前途に圧し掛かってきます。

 当時、ラバンの家から故郷のカナンに帰るのにはどうしても、ヨルダン川の支流のヤボク川を一度渡らなくてはなりませんでした。渡り場は「ヤボクの渡し」といわれる一ヶ所です。対岸に渡ると、ヤコブのことを聞いてエソウが手勢を率いて待ち構えていることは先刻承知でした。

エソウ兄さんに何をされても、そう殺されても不思議ではありません。一族皆殺しもありえます。すべてはエソウの気持次第でした。「ヤボクの渡し」を対岸に渡り、家族に先に行ってもらって、一人夜を迎えたときのヤコブの心情を創世記32章23節以下の記述でかいま見ましょう。

ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた」

32章25―26節です。過去自分のしでかした取り返しのつかない過ちとは言え、いくら反省してもしたりない。愛する家族を思えば、先行きが不安で自分が引き裂かれそうになる。創世記32章25―26節で、ヤコブは神様と股間が外れるほどの物凄い格闘をしたと書かれています。これは、いろんな解釈があるでしょうけれど、エソウにあう前日、身が張り裂けるようになるほど苦悶したヤコブの様子が描かれているのではないでしょうか。

一夜開け、ヤコブは心の整理がつきました。清清しい朝でした。ヤコブは神様から「イスラエル」の称号を受け、神と格闘した場所をペニエルと名づけ、先で待ち構えているエソウ兄さんに会いに出かけました。

人生の大きく深い崖淵に立ち、ひるまず歩む族長ヤコブの姿を創世記32章32節はこう記しています。「ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた」。まさに、

   Sunshine on my shoulders makes me happy.
Sunshine in my eyes can make me cry.

であるような。「太陽を背に受けて」「涙をふいて」、過去の過ちの反省は、過ちなら心からするべきでしょう。けれど、後悔しないような人生を選ぼう、と西向きの部屋にさしこむ冬の日差しを受けつつ繰り返しているのでした。気だけは若いでしょう。

もうすぐ春ですね。

2012年2月20日 (月)

『かくれんぼ』の”She”は誰?

 1983年だったと思うけど、かのイギリスのハワード・ジョーンズ氏が、シンセサイダーを屈しして新型のポップスを開発された。その代表曲の一つが"Hide and Seek”(かくれんぼ)です。
 不思議な感じのする世界に引き込まれつつ、流れてくる歌詞は単純そうなのだが、よく聞くと、わたしにとっては小難しい歌の一つになってしまいました。
 最近、YOU-TUBEで、
ジョーンズ氏がシンセサイダーではなく、ピアノでこの曲を弾いておられるのを聞いて、また驚きました。ピアノが上手とは聞いていたのですが、まさかこれ程まで、軽いタッチとは・・・です。
 それで、
YOU-TUBEから借用させてもらって、ハワードの氏のピアノの弾語りで『かくれんぼ』を聞いてみようと思います。<原詩>と<拙訳>をつけます。
 <いい訳>も合わせて。


YouTube: Howard Jones Hide and Seek @ Live Aid 85

<原詩>

There was a time when there was nothing at all
Nothing at all, just a distant hum

There was a being and he lived on his own
He had no one to talk to, and nothing to do
He drew up the plans, learnt to work with his hands
A million years passed by and his work was done
And his words were these...

Hope you find it in everything, everything that you see
Hope you find it in everything, everything that you see
Hope you find it, hope you find it
Hope you find me in you

So she had built her elaborate home
With it's ups and it's downs, its rains and its sun
She decided that her work was done, time to have fun
and she found a game to play
Then as part of the game
She completely forgot where she'd hidden herself
And she spent the rest of her time
Trying to find the parts

Hope you find it in everything, everything that you see
Hope you find it in everything, everything that you see
Hope you find it, hope you find it
Hope you find me in you

There was a time when there was nothing at all, nothing at all
Just a distant hum

149104
<拙訳>

かくれんぼ

ハワード・ジョーンズ

全く何にもないときがあった

全く何もなく、あったのは、かすかに聞こえる音だけ

生命は存在したが、一人だった

話し相手もなく、することも何もなかった

彼はプランを練り、それにそって、自分の手を動かした

何千年かが過ぎ、彼の仕事は終った

そして、彼はこう言った

見るものすべて、すべてに自分のプラン(it)を見出してもらいたい

見るものすべて、すべてに自分のプラン(it)を見出してもらいたい

それを見つけてくれたまえ、それを見つけてくれたまえ

あなた自身のなかにわたしを見つけてくれたまえ

というわけで、彼女は手の込んだ家を建てた

気分のいい日も悪い日も、雨だろうが晴れだろうが構わずに

自分の仕事をやりおえたあとは楽しもうと、彼女は決め、遊びたいゲームを見つけた。

だが、ゲームの最中に

彼女は自分自身をどこに隠してしまったのかまったく忘れてしまった

それで、彼女はその部分(失った自己)を見つけるために

残りの人生を過ごしてる

見るものすべて、すべてに自分のプラン(it)を見出してもらいたい

見るものすべて、すべてに自分のプラン(it)を見出してもらいたい

それを見つけてくれたまえ、それを見つけてくれたまえ

あなた自身のなかにわたしを見つけてくれたまえ

全く何にもないときがあった

全く何もなく、あったのは、かすかに聞こえる音だけ

149107

<言い訳>
歌の一番が旧約聖書の創世記1:1-2:3の「創造神話」に基づいているのは、明らかだろう。最初にカオスがあったでも、海があったわけでもなく。なんにもないところに、「神(主)」という生存者がいて、心を込めて一つずつ、草や木などのものを創っていかれたというのだから。
とりわけ、Hope you find me in youという言葉などは、1:27の「神は自分にかたどって人を創造された」とあるから。そのあたりから捉えられると思うのでした。
ところが、歌の二番
になりますと、いきなり飛び出すのが”she”で、創世記3章の「失楽園物語」を当てはめて、「イブ」(人類の母)とすると、「かくれんぼ」遊びのことは、この物語の3:8に「アダムと女が主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると」という記述がありますから、イブのことかなとも思いますが、「失楽園物語」のなかに、イブが  elaborate homeを建てたという記述はありません。そもそもher elaborate homeとは何を意味するのでしょうか。
神殿ですか、教会ですか。
週に1度か2度、教会に身を捧げていたらそれで充分と信じて、教会を出ると、全く違う人になって暮らしておられるかたは普通におられます。それは女性(She)に限られているわけではありません。男性もまた・・・。
だから、この”She”は誰のことなのでしょうか?という疑問を解明できないまま、「自分自身について自分がどれだけ知っているのだろうか」などとも,この歌はわたしに問い掛けてきます。実存的ですね。
役者になりきることも一つの生き方だと思っておりますが、嘘をついたり、隠し事を繰り返していると、ついにはどれが本当の自分なのかわからなくなってくるのではないでしょうか。
それって、不幸、幸福、どちらなのでしょう。

2012年1月12日 (木)

『ケ・サラ』、悲観的?楽観的?

 新年早々から、消費税増税の議論にはいるとか。経済に対しては全く暗いのだけれど、今、生産に対して消費が落ち込んでいるから、デフレが続いているのではないか、と思う訳で、ここで、消費税を上げたら、物価があがるから、さらに消費の落ち込みに追い討ちをかける結果になりそうなのだが。
 国庫さえ潤えば〔借金を返せたら〕、後は野となれ山となれ。アメリカの言いなりに、TPPにも参加したことだし、ケサラ、ケサラ〔なるようになるさ〕[何とでもなれ]でしょうか。階段を駆け足で登ると躓きますよ。

 その『ケ・サラ』、ブェルトリコ出身のホセ・フェルシアーノさんが1971年にリリースされ、大ヒットした名曲なのだけれど、イタリア語なので、さっぱり意味が理解できなかった。インターネットに直訳調で、原詩と訳が載っていたので、拝借して、聞かせていただいたかぎりで、原曲の"Che Sara”は、将来が全く見えない、どうなっていくんだろう、というような、極めて悲観的なイメージで歌われているような気がする。
 とりあえず、聞いてみてください。インターネットから借用した、原詩と訳も載せておきます。

YouTube: Che Sarà - Jose Feliciano

Che sarà
Autore: Migliacci - Fontana
Interpretata da: Ricchi e Poveri - Josè Feliciano

Paese mio che stai sulla collina,
disteso come un vecchio addormentato;
la noia, l'abbandono, il niente
son la tua malattia,
paese mio ti lascio, io vado via.
Che sarà, che sarà, che sarà
che sarà della mia vita, chi lo sa!
So far tutto, o forse niente,
da domani si vedrà
e sarà, sarà quel che sarà.
Gli amici miei son quasi tutti via,
e gli altri partiranno dopo me,
peccato, perché stavo bene
in loro compagnia
ma tutto passa, tutto se ne va.
Che sarà, che sarà, che sarà
che sarà della mia vita, chi lo sa!
Con me porto la chitarra,
e se la notte piangerò
una nenia di paese suonerò.
Amore mio ti bacio sulla bocca
che fu la fonte del mio primo amore,
ti do l'appuntamento,
come quando non lo so,
ma so soltanto che ritornerò.
Che sarà, che sarà, che sarà
che sarà della mia vita, chi lo sa!
Con me porto la chitarra,
e se la notte piangerò
una nenia di paese suonerò.
Che sarà, che sarà, che sarà
che sarà della mia vita, chi lo sa!
So far tutto, o forse niente,
da domani si vedrà
e sarà, sarà quel che sarà

『ケ・サラ / Che Sara'Ricchi e Poveri,Jose Feliciano (原詩・対訳)

私の故郷
お前は丘の上にある
眠った老人のように横になって
退屈、放従、虚無
それがお前の病気だ
私の故郷
私はお前を捨てて行ってしまう

(
リフレイン)
どうなるだろう、どうなるだろう、どうなるだろう
私の人生はどうなるだろう
誰が知っているのか
私にはすべてすることができるか
それとも、おそらく何もできないか
明日から分かるだろう
そして、なるだろう、なるだろう、なるように

私の友達はほとんどみんないってしまった
そして、他の人たちは私の後に発つだろう
残念だ、なぜなら、私は彼らと一緒にいてよかったから
でも、もうすべてが過ぎ、すべてが行ってしまう

どうなるだろう、どうなるだろう、どうなるだろう
私の人生はどうなるだろう
誰が知っているのか
私はギターを持って行く
もし夜、私が泣けば、私は故郷の弔歌を弾くだろう

アモーレ・ミオ
私はあなたの口の上にキスをする
私の初恋の泉だった
私はどのようにしてかいつか逢うのを約束する
でも、私はただ帰ってくることだけを知っている

(
リフレイン)


 この詞から察する限りで、将来は全く真っ暗闇のなかで、どうしたらいいのだろう、どういうようになっていくのだろう、という叫びのような、あがきのような切迫した感情が伝わってくる。
 この歌は、とても有名になって、日本でも多くの歌手にうたわれ、主に二種類の歌詞が『ケ・サラ』として歌われている。
 その一つを聞いてみたい。インターネットから借用し歌詞も上げておこう。

YouTube: ~ケ・サラ~

Photo

 

『ケ・サラ / Che Sara』(日本語歌詞)

平和で美しい国 信じあえる人ばかり
だけど明日はどうなることやら
誰にもわかりはしないさ

ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ
ぼく達の人生は
階段を手探りで歩くようなもの
エ・サラ、サラ・ケル、ケ・サラ

固く心結ばれて 誓い交わした友達
だけどそむき合うときがあるだろう
誰もわかりはしないさ

ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ
ぼく達の人生は
涙とギター道ずれにして
夢見ていればいいのさ

アモーレ・ミオ 口づけした
初めての激しい恋
だけどいつかは冷たくなるのさ
誰もわかりはしないさ


ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ
ぼく達の人生は
涙とギター道ずれにして
夢見ていればいいのさ

ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ
ぼく達の人生は
階段を手探りで歩くようなもの
エ・サラ、サラ・ケル、ケ・サラ

ケ・サラ、ケ・サラ、ケ・サラ

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 えらく明るい『ケ・サラ』になっている。私の心臓の主治医が、こんな気持で闘病していただけると、ありがたいんだけれどな、とおっしゃっておられた。病気は病気によっては、治るか治らないかわからないし、後遺症もでるか、でないか。「先のことはわからない」「なんとでもなれ」、とあっけらかんと難易度の高い病に構えられたら、それにこしたことはない。悟りの境地なのかもしれない。

 将来が見え隠れしていようが、いまいが、今このときの気持が大切なのだろう、と二つの歌を聴き較べて思う。よい状況を迎えても、悪い状況に傾いても人生充実させたいものだ。

 

 


 


 

2011年11月 9日 (水)

『哀しみのソレアード』、クリスマスから離婚まで?

 『哀しみのソレアード』を初めて聞いたのは、オランピア劇場の歌姫、ミレイュ・マチューさんの歌声だったと思う。メロディはとても古くからヨーロッパに伝わっていたらしいのだけれど。
 70年代の後半だったか、できもしないフランス語を駆使して、訳したものだ。今、TOU-TUBEに、懐かしいミレイュ・マチューさんの歌を聞くことができるから、借用させていただいて、シャンソンの気分に浸ろう。<歌詞>と<私訳>もあわせて付けておこう。恥ずかしい気もするのだが。
 


YouTube: Amour: Mireille Mathieu ( On ne vit pas sans se dire adieu)

<詩>

Mireille Mathieu
ON NE VIT PAS SANS SE DIRE ADIEU

Paroles: Henri Dijan, musique: Zacar, 1975


On ne vit pas sans se dire adieu
On ne vit pas sans mourir un peu
Sans abandonner pour aller plus loin
Sur son chemin quelque chose ou quelqu'un

Je suis venu pour te dire adieu
Un souvenir meurt toujours un peu
J'ai voulu savoir ce qu'il m'a resté
Du seul amour qui ait pu compté

Je suis venu pour te dire adieu
Ou si tu veux adieu à nous deux
Comme le jour où tu m'as fait pleuré
En me disant adieu à jamais

PARLÉ:
Oh ce n'était pas ta faute, je le sais
Je sais tout ce qu'il allait se passer, allez
Ton père et tout ce qu'il a pu te dire
Tes études à finir, ton service, ton avenir
Et puis cette fille n'est pas pour toi
Aujourd'hui tu es une autre
Tout est qui finit bien, quand
Mais qu'est-ce que j'ai pu t'aimer toi
J'avais seize ans, seize ans

On ne vit pas sans se dire adieu
On ne vit pas sans mourir un peu
J'ai voulu cs soir arrêter le temps
Le temps de dire adieu mes seize ans
Oooh, j'ai voulu dire adieu mes seize ans
Avant d'aller vers ce qui m'attend

<拙訳>

お別れを言わずに生きることはできない。

小さな死を経験しないで生きることはできない。

何らかの、あるいは誰かの道をさらに進む。

やめることはできない。

あなたにお別れを告げにきました。

思い出はいつも少しずつ死んでいくけれど。

わたしに大切にすることのできるただ一つ愛があったのか、

そのことを知りたい。

あなたにお別れを言いにきました。

それか、もしあなたがわたしたち2人の別れを求めるのなら、

あなたがわたしを辛い思いにした日の、

いろんな事がわたしに永遠の別れを告げる。

語り

ああ、あなたが間違っているわけじゃあない。私にはわかる。わかるのは、もう起こっていて、動きだしていること。それがすべて。あなたのパパとあなたにあげたものはすべてこう言うでしょう。あなたの学びも、献身も、将来もおしまい。この女性はもうあなたのためにはいない。今日からはあなたは別の人。すべて、きれいに終わったの。どうしてかあなたを好きになることがあるとしても。私は16歳、16なんだから。

お別れを言わずに生きることはできない。

小さな死を経験しないで生きることはできない。

今晩、この時間を止めてしまいたい、

わたしの16年にお別れを言うこのときを。

おお、わたしの16年に別れを告げよう、

わたしを待つ人のところに行く前に。

B

 adieu、adieu が繰り返されるから、そんなに別れたいのか、なんて訳していて、決していい気はしなかった。決別・離婚のときに歌うといいような、決別・離婚のときは実年齢にかかわりなく、「16歳」seize ans なんでは。
  『哀しみのソレアード』は日本でも大ヒットして、いろいろ訳され、いろいろな歌手の方がお歌いになられている。
TOU-TUBEで、那智ゆかりさんのソレアードを聴かせて頂いた限りで、Mireille Matheiuさんの歌の「歌詞」のきつさは和風に和らげられているような気がする。少し聴いてみたい。<歌詞>もあげておこう。

YouTube: 悲しみのソレアード、那智ゆかり(Voc)

<歌詞>

作曲:ツァッカー/ダリオ・バルダン・ベンボ
作詞:F.Specchia


もうすぐ終わるのね

ふたりの砂時計
さよならの足音が
背中に聞こえるわ

あなたのぬくもりを
ください もう一度
この心 この肌で
おぼえておきたいの哀しみのソレアード 歌詞音樂 ABC
ひとりで生きてゆく
明日はつらいけど
たおれずに ゆけるでしょう
思い出があるかぎり
さびしい人生に
ひかりをくれた人
今はただ言いましょう
この愛をありがとう
今はただ言いましょう
この愛をありがとう

2

 大人の雰囲気のする訳になっている。静かに、相手に感謝しつつ離別のときを迎えようとしている女性の心が優しく表現されている。愛の終わりが表現されている意味で、マチューさんのOn ne vit pas sans se dire adieuの歌詞に近いのだけれど、16歳ではないのだろう。マチューの歌で何度も繰り返されている「16歳」が、この歌の歌詞では欠落している。大人の恋なのだろうか。

 布施明さんの 『哀しみのソレアード』を聴いたときは、驚いた。ミレイュ・マチゥーさんの 『哀しみのソレアードOn ne vit pas sans se dire adieuの歌詞の意味も欠片もない。完全に離れて立っている。YOU-TUBEから借用して、聞いてみよう。載せている<歌詞>は、私が聞き取らせていただいた。


YouTube: 哀しみのソレアード☆AKIRA FUSE☆ NO.1

<歌詞>

いつわり、だましあい、傷つき、憎みあう

もうそんな世界には別れをおしまない

人生の荒波に負けたと言われても

でも、僕は胸をはり、背を向けていくだけさ

別れの言葉さえかけあう人もなく

今僕はやすらぎを探しに旅にでる

夕日がきれいだな

すべてを捨てた今

なんとなく心から静かなこのメロディ

1

 布施さんの気合がびんびん伝わってくる。個人的には一番好きな詩。「決別」のモチーフは他の「哀しみのソレアード」の歌詞と同じながら、決別の相手が異性ではなく、これまでの自分の生き方、考え方、世界というところで、一種の人生論になっている。歌詞は布施明さんがご自身でお創りになられたのだろう。

 それは、それで悪いことではない。Mireille Matheiuさんが、 『哀しみのソレアード』On ne vit pas sans se dire adieuをリリースなさった、翌年、アメリカで、Johnny MathisさんがWhen a child is bornという歌をリリースされた。YOU-YUBEにも載っている。所謂、 『哀しみのソレアード』と同じメロディなのにもかかわらず、歌詞も、題名も全く違う。<歌詞>も載せておきたい。<拙訳>も付けて、ほんの少し言い分けも聞いていただけたなら。


YouTube: Johnny Mathis - When A Child Is Born

<歌詞>

When a child is born (Soleado)

Lyrics: Fred Jay
Composed by Antonio Zaccara da Teramo / Zacar
Sung by many artists

A ray of hope flickers in the sky
A tiny star lights up way up high
All across the land, dawns a brand new morn' ,
This comes to pass when a child is born.

A silent wish sails the seven seas
The winds of change whisper in the trees
And the walls of doubt.. crumble tossed and torn,
This comes to pass when a child is born.

A rosy hue settles all around
You got to feel you're on solid ground
For a spell or two no one seems forlorn
This come to pass when a child is born.

(Intermezzo and spoken)

And all of this happened
Because the world is waiting
Waiting for one child
Black, white, yellow, no one knows
But a child that would grow up and turn tears to laughter
Hate to love, war to peace
And everyone to everyone's neighbour
Misery and suffering would be forgotten forever

It's all a dream, and illusion now.
It must come true some time soon somehow
All across the land dawns a brand new morn’,
This comes to pass.. when a child is born.
This comes to pass.. when a child is born.

When a child is born
.

<拙訳>

一筋の希望の光が空で煌き

小さな星が空に高く上って輝き

あらゆる土地に、まったく新しい朝が夜明けを迎える

すべては実際になる、ある子どもが生まれるとき 

望みが静かに七つの海を渡り、

変化をささやく風が木立のなかを吹きぬけ

疑いの壁は、放り出され、引き裂かれて砕け散る

すべては実際になる、ある子どもが生まれるとき。 

あらゆるところ、バラ色の雰囲気が落ち着き

あなたはしっかりとした岩の上にいる気分になり

ひと時でもふた時でも、イラつく者はだれもいない

すべては実際になる、ある子どもが生まれるとき

語り

すべては起こった

世界が待っているんだから

1人の子どもを待っているんだから

肌の色は黒、色、黄色、そんなことだれも知らないよ

もうその子は大きくなって、涙を笑いに、憎しみを愛に、戦争を平和にかえていってるよ

あらゆる人たちをお互いに隣人に

悲惨も、苦悩も永久に忘れさられるさ

今はみんな夢と幻だけれど

何とか早いうちに、ある時真実ななるのに違いない

あらゆる土地に、まったく新しい朝が夜明けを迎える

すべては実際になる。ある子どもが生まれるとき

すべては実際になる。ある子どもが生まれるとき

ある子供が生まれるとき
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 ヨハネによる福音書14章18節によると、イエスは十字架になるときに、弟子たちに、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる」と約束された。
 Johnny MathisさんのWhen a child is bornの歌詞は、平和の使者(メシア)の再臨(誕生)という意味で極めて終末論的ながら、福音書のなかでイエスご自身が「帰ってくる」とおっしゃって、十字架のおつきになられたのだから、もう、子どもの姿をして地上に戻っておられても決して不思議ではない。

 そんな希望を抱かせてくれる。イエス・キリストの誕生を祝う「クリスマス」に、ある意味相応しいのではあるまいか。

 しかしながら、 『哀しみのソレアード』、結局、歌詞がないほうがよかった感じもする。

2011年10月26日 (水)

冷たい雨が降っていました

 冷たい雨が降っていました。
 と言いましても、葬式があったわけではありません。日曜日の午後遅く、ドライブしたとき、冷たい雨が降っていた、というだけのことなんです。
 久しぶりに、そのおかげか、虹を見ました。
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 虹を追いかけて、行き着くところまでいこう。
 岡村さんの歌でそんな内容・
歌詞の歌もありましたが、車の中に流れていたのは、平山美紀さんの『真夏の出来事』。古い歌ながら、個性的な美声が今も心にのこっていて、カーステレオの曲のなかに入れています。
 TOU-TUBEにありますから、借用させていただき、あわせて、歌詞も味わいましょう。


YouTube: 平山三紀 真夏の出来事

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真夏の出来事/平山三紀
作詞:橋本 淳 作曲:筒美京平

彼の車に乗って
真夏の夜を 走りつづけた
彼の車に乗って
さいはての町 私は着いた
悲しい出来事が
起こらないように
祈りの気持ちをこめて
見つめあう二人を
朝の冷たい海は
鏡のようにうつしていた
朝の冷たい海は
恋の終りを知っていた

彼の両手をとって
やさしいことば さがしつづけた
彼の両手をとって
冷たいほほに くちづけうけた
悲しい出来事が 起こらないように
祈りの気持ちをこめて
見つめあう二人は
白いかもめのように
体をよせて歩いていった
白いかもめのように
涙にぬれて歩いていった

悲しい出来事が
起こらないように
祈りの気持ちをこめて
見つめあう二人を
朝の冷たい海は
鏡のようにうつしていた
朝の冷たい海は
恋の終りを知っていた

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 この歌は、季節は真夏だというのに、ギラギラした平山さんの歌声とは逆に、「朝の冷たい海」「冷たいほほ」と、「冷たい」という言葉がくりかえされ、「白いかもめ」まで登場し、寒さが
ただよう深まりゆく秋のイメージがしてきます。秋は失恋、恋が終るときなのでしょうか。

 また春も来るから、なんて思いつつ虹を追いかけながら、しばらく走りました。どうやら北にコースを取っているようです。

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 北の山里では、稲刈りもとっくに終わり、冬の準備が始まっているようです。春が巡ってくる前に厳しく長い冬を迎え撃たなくてはいけないんですね。

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 ススキですら、豊かに、ふくよかに見える秋の今日この頃。音も立てずに寒い冬が迫ってきているのも事実です。

2011年10月17日 (月)

「大丈夫だよ」の反意語は?

 京都市、ヒューマンステージ・イン・ キョウト実行委員会などが主催するコンサートに、川嶋あいさんが来られるときいて、応募して、枠内に入ったというのでいそいそ出かけた者の一人です。
 一昨日でしたか。
 会場は岡崎にあるホールでした。電車を乗り継いで、一時間と少し、たどりついたら、今にも雨が降り出しそうな気配。
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 どんよりと雲って、 岡崎に行くのは、二十年ぶりになりますが、ふりかえると、いつも雨降りだったような。
 動物園に行ったときは、水溜りができていて悲惨でした。
 美術館はそれでも、芸術の秋とあってか盛況で、そちらのほうにふと立ち寄りたくなりました。
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 川嶋さんのコンサートに来たんだから、と自分を戒め、一路コンサートホールへ。
 東北地方を襲った震災の復興支援のコンサートだったから、前半はその現状と取り組みについて報告があり、川嶋さんのライブコンサートは後半になりました。
 6曲ばかりでしたが、『明日への扉』『旅立ちの日』になどの名曲がならぶなか、2009年にリリースされた『大丈夫だよ』が、とても川嶋さんらしく、印象に残りましたし、学ばせても頂きました。
 YOU-TUBEにありますので、そこから借用させていただきます。
 今回は歌詞はつけません。
 

YouTube: 川嶋あい 大丈夫だよ

 この歌のなかで、「大丈夫だよ」、「行き詰まっても心配ないよ」、「君は君のままでいけばいい」、というようなメッセージが繰り返されます。

 「大丈夫!」というのは、「頑張れ!」なんかより途方もなく、深く力強い言葉で、運命的な苦労を何回も乗り越えてこられた川嶋さんだから、普通にいえるのだろうし説得力があるのかもしれません。わたしも、実は数年前に大病したときに、担当のお医者さんから「もう大丈夫」と病室で言われたときには、安心するやら、嬉しいやら、しばらく肩に力が入りませんでした。

 「大丈夫!」って、力強い励ましの言葉の切り札で、現実でもあります。ただ、もう一方の激励の言葉、「頑張れ!」の反意語を考えてみましょう。「休め!」「なまけろ!」「手をぬけ!」「遊べ!」なんかが浮かんできます。

 印象としてはまだ可愛いではありませんか。

 ところが、「大丈夫!」の反意語は何でしょう。もし、「大丈夫!」でなかったなら。これは、個人であれ、社会であれ一大事です。生死がかかわるといっても不思議ではありません。

 どこか、人生として、「大丈夫!」を実感できる自己自身や社会を目指して今を生きているんだろう、とコンサートが終わり、帰りの電車のなかで思ったのでした。


 

 

 

2011年10月14日 (金)

葛城考

 奈良県の南大和、二上山、葛城山、金剛山の東側一帯に、古代王国があったことは認めなければならないだろう。
 伝説上の人物の神武天皇と結び付けられて、紀元前五世紀くらいから、紀元5世紀に雄略天皇によって滅亡するまでだから、約1000年存続した
計算になる。

 歴史は巨大な河の流れのようなところがあるから、善も悪も、喜びも愁いも過去へ流しながら、進んでいく。葛城王国が存在したはずの1000年のあいだにも、橿原に天皇家の王宮ができたり、三輪が天皇家の拠点となったり、難波に天皇家の王朝が造られたり。

 権力統治をめぐってめまぐるしく変化していくなかで。葛城王国はどちらかというと地味な存在。紀元5世紀前半の葛城襲津彦にときおり光があたるくらいである。

 位置から言っても、ここは軍事的な拠点となったのに違いない。数年前、二上山に登って驚いた、さほど高くない山なのに、大阪が一望できるではないか。

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 それだったら、二上山よりも高い葛城山や金剛山からは大阪湾を行き交う船の動きが一目で確かめられたはずである。しかも、黄道も通過しているのだから、暦を作るのにも不可欠だっただろう。

 葛城氏が天皇家との関係で注目されることが少ないのがかえって不思議でならない(天皇家そのものと言ってよいのでは)。いずれにしても、葛城は古代史上明暗を何度も分ける位置にあったはずである。

 何が原因なのか窺い知ることができないのだが、紀元5世紀後半に、雄略天皇によって葛城王国は滅亡したという。そして、生き残った勇者も土蜘蛛とよばれて蔑まれる運命を背負うことになる。

 葛城の地を何度か訪ね、一言主社、高天原社に足を運んで、気付いたことがある。どちらも、土蜘蛛の墓の側に建てられている。一言主社は昔は別のところにあったらしいのだが、境内に土蜘蛛も墓がある。

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Photo_2({一言主社)

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Photo_4({高天彦社)

 梅原猛さんの『隠された十字架』という有名な書籍を読んでいくと、「上古の日本人にとって最大の神はたたり神であった」という論旨に出合う。天皇家はたたりを恐れて、法隆寺などの巨大な寺院を建立したらしい。

 ただ、もっと素朴に考えてよいのではあるまいか。死者を心から懇ろに弔うということが、その姿勢こそがたたりを避ける道にもなるし、同時にまた、恵みを受け、繁栄に繋がる道にも変わるのである。

 死者を懇ろに弔うことが宗教信仰の原点とする宗教観は、「イエス・キリストはわたしたちのために十字架におつきになられた」と考え、イエスの死、メシアの死に絶対的な救済論の根拠をおくキリスト教の考え方に近く立っている。

 これが、日本古来の宗教観だとすると、驚きは隠せない。

 

 

 

2011年9月 8日 (木)

戦争はしらない

 昔、アメリカで、ベトナム戦争が泥沼と化すなか、戦争反対の世論が強くなり、多くの戦争反対を主題とする歌が生まれた。
 60年代だっただろうか。
 反戦歌
というのだが、ピーター・ポール&マリーの”Where Have All the Flowers Gone?”(『花はどこへいった』という和題)などが典型だろう。日本でも、大きな敗戦の犠牲を払い、日米安全保障条約の延長問題も圧し掛かっていたころでもあり、たくさんの反戦歌が生まれた。
 『戦争は知らない』など、今でも覚えている。フォーク・クルセダースも歌われていると言うのだが、カルメン・マキさんの歌をレコードで聞いていた。
 YOU-TUBEにカルメン・マキさんのライブの様子が載せてあったから、それをひっぱり出してみる。あわせて、亡き寺山修司さんの<歌詞>も載せよう。
 とても懐かしい。カルマン・マキさん、歳をとられたなぁ、とため息一つ。人のことは言えないが。

 

YouTube: カルメン・マキ 戦争は知らない

050 (ハルリンドウ:植物図鑑フリー画像)

戦争は知らない

  【作詞】寺山修司
   【作曲】加藤ヒロシ

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
ぼうしにいっぱいつみゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を何も知らない
だけど私に父はいない
父を想えば あヽ荒野に
赤い夕陽が夕陽が沈む

いくさで死んだ悲しい父さん
私はあなたの娘です
二十年後のこの故郷で
明日お嫁にお嫁に行くの

見ていて下さいはるかな父さん
いわし雲とぶ空の下
いくさ知らずに二十才になって
嫁いで母に母になるの

0004570_3(いわし雲:teacupフリー画像)

 とてもいい「詩」。「野に咲く花の名前は知らない」。この出だしのたったの1行で、戦場(野)に咲き、散っていった名もない兵士たち(名もない花)が譬えられている。

 春が来て(平和な時代になり)、野に咲いている名もない花をぼうしにいっぱい摘んでいたら、なぜか涙が 涙が出てくる。どうしてだろう。戦争で死んだお父さんを思い出すから。

 私は戦争を知らずに育ち、明日お嫁に行くけれど、戦争で死んだ悲しい父のことは絶対に忘れない。母になって子どもができたら、ずっとずっと伝えるつもり。今は平和だけれど、昔、戦があって大勢の人がが死んでしまった。私の父、あなたのおじいさんは、その戦争で殺されたの、と。

 拙い解釈で申し訳ないのだが、生きている限り伝えつづけようとする母の姿に凄まじい戦争に対する憎しみが伝わってくる。太平洋戦争が終ってもう70年近くになろう。このお母さんも60代、お孫さんが何人もおられても不思議ではないお歳なのではあるまいか。

 お孫さんに、「あなたの曽祖父さんは、太平洋戦争のときに出征して、死んでしまったの」と伝えても、お孫さんはピンと来ないのに違いない。戦争からまた一世代過ぎてしまった。

 しかしながら、この短気な国民が70年近くも戦争に協力はしても、直接関与しなかったことは驚異である。それだけ、平和を望み、尊んできたと言ってよいのだろう。これからも、この姿勢を貫いて欲しいし、東北地方が大地震による被害と人災である放射能汚染に犯されている今日、軍事力がどうこうというよりも、平和自体の内容・あり方を真剣に模索するときが来ているのではないのだろうか。

 私見で申しわけないのだが、愛から平和は育つのだろうか・・・。

 

2011年9月 5日 (月)

日本人とユダヤ人

 昔、某書店のオーナーが、イザヤ・ベンダサンというペンネームで、自分をユダヤ人だということにして、『日本人とユダヤ人』という本をお書きになり、結構売れた。私も読んだ一人なのだが、こういう、日本人はこうで、ユダヤ人はこうで、という論旨は実は好かない。

 どこにでも転がっているお話で、対象こそ違うものの、フランス人はこうで、ドイツ人はこう。韓国の人はこうで、中国の人はこう。よく十羽ひとからげにできるものだ。わたしなど、20年近く住んでいて、お隣さんの判断がもうひとつわからない、という有様なのに。

、フランス人もドイツ人も、もとはといえば、ゲルマン民族、同じルーツではないか。中国の人も韓国の人も、文化的に細かな違いはあるだろうけれど、同じアジア、米を作り主食としている。

 さて、日本人とユダヤ人、イザヤ・ベンダサンの口調を借りれば、ユダヤ人は一神教で、日本人は多神教(日本教)だそうだ。ここでいうユダヤ人とは、イスラエルの12部族をさしておっしゃっておられるのか、それとも、バビロン捕囚からエルサレムに帰還後、ユダヤ教徒としてよみがえった人たちをさして言われているのか。

 捕囚以降のユダヤ人の信仰は一神教と考えてよい。だが、それ以前は、聖書の神様と全く違うバアルなんかを一緒に拝もうとするのを預言者が懸命にとめていたような状態だった。日本人と聖書に出てくる人たちとの違いをあげればいろいろあるだろうけれど、広く観ると、日本人と聖書の人たちのルーツは一緒なのではないかと思っている。

 言語面からアプローチするなら、川守田英二さんの『日本へブル詩歌の研究』『日本の中のユダヤ』を読んだことがある。とても丁寧に押さえてある。右から左へすぐに抜けていく者だから、原語から入ると辛い。

 だからここでは、日本人と聖書の人たちのルーツは一緒、という私見の根拠をYOU-TUBEにある音楽に頼りたい。このほうが眠くなりにくい。

 一つは、イスラエルの国家、『ハティクバ』を聞こう。この歌のもと今もイスラエルは周辺のアラブ世界と戦争状態にある。一つは、沖縄を代表する民謡の一つ、『てぃんさぐの花』を聞きたい。では

* 『ハティクバ』

YouTube: Israel national anthem


*『てぃんさぐの花』


YouTube: 沖縄の癒し音楽 てぃんさぐの花/cojaco

0000164 (ホウセンカ:teacupフリー画像より)

 ヘブライ語の「 ハティクバ」とは、希望という意味だそうである。琉球言葉で「てぃんさぐの花」とはホウセンカのことだそうである。

 どちらの歌も残念ながら歌詞の意味はチンプンカンプンなのだが、曲のほうに耳を貸していただきたい。同じ音階.。旋律もどこか似ているような。アジア系の音楽に特徴的な五音階なんだけれど、国家を代表する歌と、民衆のなかから生まれてきた歌が同じ音階なのには戦慄を覚える。

 エルサレムから那覇まで直線でおよそ9000キロはあろうか。偶然の一致なのかもしれないけれど、不思議すぎる。

2011年8月31日 (水)

太秦考

 太秦といえば、映画村で有名なのだけれど、映画村自体は、秦氏が北野廃寺をここに移した広隆寺より北側で、昔で言えば、太秦のはずれである。
 太秦を秦氏の拠点として考えるなら、太秦の中心は広隆寺のある蜂ガ丘だろう。

 秦氏は宇治川、桂川の治水工事、大山崎から淀川にいたるまでの整備。岩倉信仰の拠点だった松尾大社を今日のような風格のある社にし、伏見では稲荷信仰を始めた。聖徳太子をこの上もなく尊敬し、広隆寺を北野の廃寺から太秦の地に移し、太子から頂いたという弥勒菩薩半跏思惟像を安置した。桓武天皇の平安遷都も秦氏の協力なくしてありえなかったのは言うまでもない。

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 秦氏自体は渡来系の豪族で、広隆寺の後ろにこじんまりたたずむ秦氏の氏神さま大酒神社には、秦始皇帝弓月王秦酒公祭られている。

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 西暦紀元372年ごろ、秦始皇帝孫にあたる功満王の息子で、弓月王(ゆんづのきみ)という人物が、百済から127県18670人の人々を従えて、大和朝廷に帰化した、と社伝や『記紀』にも記載されているから、秦氏は、和田玉などのヒスイの産地、今のウイグル自治区から、はるばる朝鮮半島を経て、帰化された血統書つきの豪族なのだろう。
 並大抵の豪族でなかったことは、高度な治水技術を拝見させていただけば、充分伺い知ることができよう。

 太秦といえば秦氏だが、秦氏以前から栄えていた。そんな気がする。
 蚕の社という秦氏により整備された神社がある。三柱鳥居で一時有名になった。正式には、 木嶋坐天照御魂神社と言い、「天照御魂神」を祭っている。
天照御魂神」とはどういうお方なのか。想像なのだが、ニニギのみこと(神武天皇のひいじいさん)に関係の深いホアカリのみことなのではあるまいか。

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 ホアカリのみことは、海部家の系図や尾張家の系図では、ご両家の大いなる始祖であり、物部家の始祖にあたるニニギのみことの兄弟とか、子どもとか、確か『記紀』で扱われていたはずである。

 ホアカリのみこととニニギのみことは、たぶん同一人物だろう。物部氏との深いつながりから、太秦は、物部氏(ニニギのみこと)の降臨に直接かかわる重要な場所だったと思われる。
 『記紀』に、ニニギのみことの降臨の際に、お供の一人だったアメノウズメと土地の状況に詳しい案内役のサルタヒコとが出会う場面がある。太秦(uzimasa )の語源については、光輝く土地とか、神聖な土地とか、漢字はローマをもじっただけなのだが、いろいろ言われている。

 太秦(uzumasa)は、あくまでも私見なのだが、「ウズメ+サ」,あるいは、「ウズメ+タ(tha)」ではないだろうか。唐突で申し訳ないのだが、ヘブライ語で、「タ」は「部屋」の意味であり、「ウズメの場所」という意味がここに現れる。太秦が実はアメノウズメとかかわりの深い場所なのかもしれない。

 太秦の近くに車折神社があり、そのなかに芸能神社がある。芸能神社の祭神はアメノウズメである。『記紀』によれば、アメノウズメはサルタヒコが伊勢で貝を食べて死んだとき、手厚く葬り、それからは、「猿女」の元祖になったという。猿女がどんな職業だったのかはわからない。ただ、今現在、向日市から嵯峨に向かう道で物集女街道という古くからの道がある。この道は、嵯峨街道ともいわれるが、渡月橋を越え、車折神社の前を通り太秦まで続いていた、と考えてよいだろう。

 猿女と物集女、どこかに関連があるまいか。

 太秦の住宅地の真ん中に蛇塚古墳がある。

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 京都市内でも最古に属する古墳で、秦氏に関係しているといわれている。だが、「蛇」という名前からしても、秦氏というより、いつアメノウズメが現れてきても不思議ではない。例えば、ヘブライ語の語幹から観ると、「ウズメ」(uzume)は「イズモ」(izumo)と同一語源であると言ってよい(下線部分に注意してください)。

 太秦は京都市内でも最古の場所の一つである。時の流れのなかで、古代史を彩るさまざまな方がた(神々)の息遣いが聞こえてくるような気がする。映画村に行かれた際、時間があれば、太秦の古い歴史にも足をとめられてはいかがだろうか。古代日本を漠然と肌で感じることができるのも、太秦の特徴といえよう。



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2011年8月20日 (土)

『ハレルヤ』、結婚式で歌えばいいような

  『ハレルヤ』はレナード・コーエン御大 の代表曲の一つです。「ハレルヤ」自体は旧約聖書に結構多くでてくるヘブライ語で、新約聖書になると少なくなる傾向があります。どうしてなのでしょうね。

 「ハレル」が「賛美する」という意味の動詞で、「ヤー」が神(ADONAI、主)を意味する名詞だから、「ハレル・ヤ」は「神(主)を賛美します」というありふれた意味になり、キリスト教徒のなかには、手紙や挨拶文で、「拝啓」の代わりに用いている人もおられます。
 ところが、コーエン御大にかかると、「ハレルヤ」に深い意味が加えられてきますから不思議。さすが、ラビ(ユダヤ教の教職者)の家出身の方だけあります。

 有名な歌で、いろんな人たちがそれぞれアレンジして歌っておられます。結婚式のときに歌えばいいような・・・。誰でもいいのですけれど、YOU-TUBEからSheryl Crowさんに弾き語っていただこうと思います。彼女、寅年生まれでしたか。

 ついでながら、<原詩>と<拙訳>を載せ、難解な詩なので、言い訳も少しさせてください。では。


YouTube: Sheryl Crow Hallelujah

1023009 <原詩>

I heard there was a secret chord

that David played and it pleased the Lord

But you don't really care for music do ya

Well it goes like this:

The forth, the fifth, the minor fall and the major lift

The baffled king composing Hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

Well your faith was strong but you needed proof

You saw her bathing on the roof

Her beauty and the moonlight overthrew you

And she tied you to her kitchen chair

She broke your throne and she cut your hair

And from your lips she drew the Hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

Baby, I've been here before

I've seen this room and I've walked this floor

You know, I used to live alone before I knew you

And I've seen your flag on the marble arch

And love is not a victory march

It's a cold and it's a broken Hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

Well there was a time when you let me know

What's really going on below

But now you never show you that to me do ya

But remember when I moved in you

And holy dove was moving too

And every breath we drew was hallelujah

Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

Maby there's a god above

But all I've ever learn from love

was how to shoot somebody who outdrew you

And it's not a cry that you hear at night

It's not somebody who's seen the light

It's a cold and it's a broken hallelujah

               Hallelujah Hallelujah Hallelujah Hallelujah

        <拙訳>

ダビデが弾いて主が喜んだ秘密の和音ある

と聞いている

でもあんた、歌に興味はないんだろう、そうだよね

        要はこんな感じですか。

四階調、五階調、短調で落ち込み、長調で持ちあがり、

王さまは頭をかかえてハレルヤを作る

      ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

そう、あんたの信仰は固いって、試される必要があった

あんたは、彼女が屋上で水浴びをしているのを見てしまった

美しい彼女と月の光に、あんたマイマイしただろう

彼女はあんたを台所の椅子に縛り付けて

王冠を叩き壊し、髪を切り、

あんたの唇からハレルヤを引っ張り出したのさ

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

なあ友よ、おいら、前にここにいたよな

この部屋を見たし、この床も歩いた

知っているよな、おいら、あんたを知るまでは一人暮らしだったんだ

それから、おいら、凱旋門の上にはためくあんたの旗を見たよ

愛は凱旋パレードじゃない

残酷で、ずたずたになったハレルヤなんだ

       ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

そう、おいらはあんたから教えられた時代があったよ

世間で事実何が起きているのか

今は、あんた、おいらにそうしたことを見せてくれないね

そうだよね

覚えているかい、おいらがあんたと暮らしはじめたころのこと

聖なる鳩も動きまわっていた

わたしたちの呼吸、それがみんな、ハレルヤだった

      ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

たぶん、小さな神さまが上にいるのだろうよ

      でも、おいらが愛から学んだのは

あんたに先に銃口を向けた奴を打ちぬくことだけだった

あんたが夜に聞いているのは泣き声じゃあないよ

光を見た誰かさんでもないよ

残酷な、ずたずたになったハレルヤなんだ

                 ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

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 紀元前1000年頃、イスラエル・ユダヤ民族の国にダビデという名君が現れて、イスラエルを当時のオリエント世界の最強国家にしました。竪琴が上手で、あれこれ神さま(ADONAI)のことを考えて、多くの賛美歌を作りました。一番の歌詞です。

 信仰もあつかったそうながら、旧約聖書サムエル記下11章以下によりますと、夕暮れ時に部下の妻の入浴シーンを見てしまいました。二番の歌詞です。ただ、聖書では月がでていたかどうか書いてありませんから、他の西洋の神話が混入していますし、食卓の椅子に座らされて、髪を切られる、という記事もサムエル記下11章以下にはありません。士師記のサムソン伝説を思い出します。神への賛美に心の痛み・後悔・過ちが結び付けられます。

 三番になると、状況はぐっと変わります。しかし、主題がそれにともなって変わるわけではありません。 I've seen your flag on the marble arch/And love is not a victory march/It'scold and it's a broken Hallelujah.( おいら、凱旋門の上にはためくあんたの旗を見たよ。愛は凱旋パレードじゃない、残酷で、ずたずたになったハレルヤなんだ)。”the marble arch”は、直訳すると、大理石のアーチですが、凱旋門を意味します。フランスのパリのものが有名ながら、ローマ帝国も戦争に勝利する度に凱旋門を造りました。

 キリスト教で神の子と言われるイエスは、生前、神の愛を説かれ、短い生涯でしたが、ひたすら人々への奉仕に命を注がれました。けれども、人はイエスを十字架にかけて、なぶり殺しにしました。痛み・苦しみのなかで、叫ばれたという「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ 」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったんですか)こそ、至高の愛の気持の表現なのかもしれません。

 イエスが死んで、その後、キリスト教が生まれ、やがてローマ帝国の国教となり、権力の中心に座ります。いくら、凱旋門に「十字架」の旗がひるがえっても、それは、イエスの教えの中心である「愛」からは何の意味もないのでした。

 「愛」にとっては、一緒に生きるという現実が大切なんだし(わたしが理解します4番の意味)、 All I've ever learn from lovewas how to shoot somebody who outdrew you( おいらが愛から学んだのはあんたに先に銃口を向けた奴を打ちぬくことだけだった)ように、一緒に生きる相手の苦しみも悲しみも、運命を背負うことが、「愛」なのに他なりません。

 それは、「ハレルヤ」ほどちゃらちゃらと安易に美化されるような言葉ではありません。それは、ときに残酷な刃物に変わり、身をずたづたにしてしまう尊い気持・生き方なのであります(わたしが理解します5番の内容でした)。

 誤解もあるかと思いますが、そんなことをこのコーエンの『ハレルヤ』から学びました。